「おかえり、ゼロ。」
彼は、いつも笑っている。
黒のパンツと白のカッターシャツ。
線の細さが如実に表れるそれらの上にピンクのエプロンをつけて、彼は手にサラダボウルを持っていた。
ゼロは仮面に手をかけて、手に持っていた書類をソファーの上に投げた。
カシャンと仮面が可動する音がして、一気に開放的な空気に包まれる。
マントを脱いだら彼はすかさずサラダボウルをテーブルの上において、走りよってマントを受け取った。
片手で小脇に抱え、空いたほうの手で散らばった書類を集める。
こういう時、彼はとても主婦染みていた。
新妻と言ったら怒られたが。
「先に風呂に入ってくれ。夕飯はもうすぐ出来るから。」
「うん、ありがと。」
仮面の男、ゼロ。
その存在に最初は疑念を抱いていたようだった彼も、今ではすっかりそんなそぶりを見せない。
世界情勢のことは話していない。
ただ、ある男に世界を託されたのだと。
『ゼロ』という存在についてはそう話しておいた。
じゃあ世界を守っているんだな、と。
屈託無く笑った彼に罪悪感を抱いたが、それでも彼を守るためには嘘をつくしかなかった。
何より世界を託されたのは嘘ではない。
ただ自分の存在と、彼の存在を偽った。
「仮面なんて被ってるから、どうせ汗臭いんだろう?」
「ははっ、酷い言い草だね。」
元は君が被っていたものだよ、と何度も言いかけて口を噤んだ。
それは『知らなくてもいいこと』。
知らなくていいことは知らなくていい。
まるで逃げるようにバスルームへ駆け込んだ。
インナーを脱ぎ捨てて、コックを捻り熱い湯を出す。
全身にその熱を浴びながら、震える息を吐いた。
ぎゅっと握り締めた手にはまだ赤がこびりついているような気がして。
吐き気がしてその場に崩れ落ちる。
目頭が熱くなったが、何かが流れ落ちたかどうかはシャワーのおかげで分からなかった。
「--―ロ・・・ゼロ!!」
「ぁ・・・、れ?」
気付いたときには目の前に彼がいた。
髪が少し濡れていて、毛先から雫が滴っている。
シャツも濡れて肌に張り付いていた。
「濡れ・・・てるよ?」
「濡れてるよ、じゃない!いつまで経っても出てこないから心配してきてみたらっ・・・具合が悪いのか?」
「あ、いや・・・大丈夫。」
別段身体は不調を訴えてはいない。
ただ少し寒いだけだが、それは仕方が無いことだ。
彼はシャワーを持ってコックを捻った。
熱い湯が身体にかけられる。
暫くそうした後手を引かれてバスルームを出て、バスタオルを押し付けられた。
怒っています、というのが丸分かりな手つきで身体を拭かれて、シャツを着せられた。
「君は・・・変わらないね。やっぱりお母さんみたいだ。」
「おい。」
「・・・僕はこんなにも変わってしまったのに。」
「それは・・・」
彼にはゼロと出会う以前の記憶が無い。
だから変わらないなどと言われても困惑するだけだ。
「昔の俺は・・・どんな人間だった?」
彼はいつもそう問う。
そしていつも、同じ答えを返す。
「頭が良くて、料理が上手で・・・誰よりも優しい人だったよ。」
彼はいつもそれにそうかと返すだけだった。
新妻と甘い(?)新婚生活。
なるべく『彼』の名前は使わないようにしています。