スザクが初めて『彼』を見かけたのは、屋根の上だった。

膝を抱えてぼんやりと空を見つめていた。

風に吹かれた黒髪が舞う。

まだ冬の寒さが完全に抜け切らない気温の中、上着は着ずに。

肌は纏っている白いセーターと同化しているようだ。


「何、してるの?」


スザクは思わず声をかけていた。

彼のことを全く知らないわけではない。

だって彼が腰掛けている屋根は、自分の家の隣の家のものだ。

当然彼も何度か見かけたことがあったし、見かけるたびに男性だと分かっていても綺麗な人だなぁという普通なら女性に抱くような感想を漏らしていた。


「寒くないの?」


彼は視線を動かさない。

ただどんよりと重い色をした曇天を眺めている。

当然のように返事は無い。

スザクは溜息を一つ吐いて、止めていた歩みを再開させた。

彼の家の前を通り過ぎ、自分の家のドアの前に立ってポケットに手を入れた。

鍵を漁る。

冷たい感触が手に触れた瞬間、少し低めの声が耳を掠めた。


「ヒトは、空を飛べると思うか?」


スザクは周囲を見渡す。

人通りは他にない。

・・・と、いうことは。

その問いかけを発したのは屋根の上でぼんやりしている彼で。

その問いかけの相手は・・・自分。

ポケットから鍵が零れ落ちて、金属音と共に地に落ちた。

目を剥いたスザクは一先ず足下に転がった鍵を拾い上げて、ドアの鍵穴に差す。

捻るとカチリと音が鳴った。


「飛べないと思うよ。」


人に翼は無い。

飛行機などの機械を使って飛ぶことは可能でも、ヒトという動物は自分の力で飛ぶことは出来ない。

よくリアリスト過ぎてつまらないと言われた。

そういう類の言葉を残して去った女性も多い。

それでも、別に構わなかった。


「ヒトは飛べないよ、どんなに頑張っても。」


薄く笑って、スザクは開いたドアの向こうに身体を滑り込ませた。