「いるの?」
小さく呟いてみる。
部屋は薄暗い。
窓から差し込む月明かりの、青白い光だけが視界を確保できるものだ。
「いるの?」
もう一度呟いてみる。
返事はない。
当然と言えば当然だ。
部屋には自分一人しかいないのだから。
ただ。
日々記憶が抜け落ちたりする事を考えれば酷くあやふやだが、忘れようと思っても忘れられない記憶がある。
得たものは、失っていた記憶と、太陽のような色をした果実。
失ったものは、『彼』。
そしてそれら記憶が正しければ、自分の中には『彼の母親』はいるはず。
『いるの?』と何気なく問いかけられるような身分ではない彼女が。
この不躾な態度に気分を害して応えないのか、声が届いていないのか、『いない』のか。
どれかは分からない。
ただきっと、『いる』のだとどこか確信していた。
彼女が自分の中に『いる』のはきっと必然で、この先のそう遠くない未来にきっと大きな選択を迫られる。
それもきっと必然。
深呼吸をして、ポケットを漁った。
採り出した携帯のデータフォルダを見る。
あどけなくほほ笑む、自分が知るのよりも随分幼い彼の姿。
彼の住まう離宮で行儀見習いをしていた。
そんなことすら忘れてしまったのだ。
その代りいつの日からか帝国最強の騎士を目指していて、でもきっとそれは本当の自分の意志では無かったのかもしれない。
騎士としてKMFを駆っていたその能力も、自分のものではなかったのかもしれない。
ならば今度は、全て自分の意思で。
そう決めて、アーニャは立ちあがった。
あの太陽のような色と爽やかな香りの果実を作ろう。
そして今度はちゃんと、彼に、食べてもらおう。