初めて彼の筆談で会話をしてから毎日、スザクはルルーシュと会話した。
唇の動きでスザクの言いたいことをルルーシュが読み取り、ルルーシュがそれに筆談で返す。
会話はとてもゆっくりとしたものだったが、何より充実していて、時が経つのが実に早く感じた。
ルルーシュは最初さり気に警戒心を含ませていたのだが、スザクが転校してきてから二ヶ月が経ったころにはやっと心を許してくれたらしく、何でも話してくれるようになった。
妹と二人で暮らしていて、妹は目と脚が不自由だということも教えてくれた。
会話の中で、彼が相当なシスコンであることもわかった。
「会ってみたいな、ナナリー?ちゃんに。」
『可愛いぞ』
「はは、君がそう言うんならそうなんだろうね。」
「お前らすっかり仲良くなったなー。」
「なんだい、リヴァル。ヤキモチ?」
「残念、俺は会長一筋!」
『何の話だ?』
「なんでもないよ、ルルーシュ。」
訝しがるルルーシュに微笑みかける。
リヴァルはミレイのほうに走っていった。
やがてルルーシュは思いついたように紙にペンを走らせる。
どこか顔が赤い。
書き終えたらしい紙の上の文章に、スザクは目を見開いた。
「・・・行っても、いいの?」
こくりとルルーシュは頷く。
次の休み、家に来ないか。
まるで彼女との初デートをとりつけた男のようなリアクションだと思いながらも、スザクは素直に顔を綻ばせた。
メモ用紙片手にスザクは歩く。
足取りは勿論軽い。
生まれてこの方ここまで上機嫌だったことがあっただろうかというくらいだ。
ルルーシュが渡してきたメモ用紙には住所が書かれていて、学校から程近い場所にあったために迎えに行くと申し出てくれたルルーシュに丁重に断りを入れた。
探検にはうってつけだ。
ルルーシュは渋々頷いていたが、じゃあ変わりにランチは作っておくと言っていた。
彼の料理の腕が素晴らしいことは生徒会役員の間では有名らしく、スザクは期待を膨らませた。
大体の目星をつけて訪れた家。
表札に間違いは無い。
しかしそんなことはどうでもよかった。
スザクの目は、その家の前で倒れている人影に注がれる。
焦って近寄り、倒れていた少女を抱き起こした。
傍らには倒れている車椅子。
「ナナリーちゃんだね?大丈夫かい?」
抱えあげて車椅子に座らせ、服や手の土を払ってやる。
「もしかして・・・スザク、さん・・・ですか?」
「うん。それよりもどうしてこんな・・・ルルーシュは・・・」
話し振りから妹を溺愛しているらしかったルルーシュが、車椅子ごと倒れて動けなくなっているのを見過ごすわけは無い。
スザクの嫌な予感は、ナナリーの切羽詰ったような声で的中したことを知る。
「そうだ・・・お兄様っ・・・お兄様が!」
嫌な汗が背を伝うのを感じながらナナリーの車椅子を押す。
バリアフリー設計の家に足を踏み入れると、家の中は甘い匂いに満ちていた。
そしてキッチンに倒れているのは。
「ルルーシュ!?」
倒れているルルーシュは目を硬く閉じていて、荒い呼吸に肩や胸が上下していた。
顔は赤い。
額に手を乗せると、分かりきってはいたのだが高い体温が伝わってきた。
「ルルーシュの部屋は?」
「こちらです!」
軽々と抱き上げてナナリーが導く後を歩く。
たどり着いた部屋は質素なもので、ベッドの上にルルーシュを横たわらせた。
ブランケットを多めに掛けて、気を利かせたナナリーが持ってきた体温計を脇に挟む。
「ごめん、ちょっと色々物色してもいい?」
「はい、構いません。」
それから氷枕やら何やらを探し当て、セットし終えたときに体温計を取る。
38.7度。
探せばきっと解熱剤もあるだろうが、彼が起きないことにはどうしようもないからナナリーと共にリビングに戻った。
すりむけたナナリーの膝を消毒して、絆創膏を貼る。
「大丈夫?」
「はい、ありがとうございます。お兄様が倒れたのが分かったので助けを呼びに行こうとしたんですけど・・・私はお兄様がいないと何も出来ませんでした。」
「そんなことないよ。」
泣きたいのを我慢しているのだろう。
唇がふるっと震えたのを見て、どうしたらいいか分からずにとりあえず髪を撫でた。
ふわふわとした感触。
ナナリーが驚いて顔を上げて初めて、女性の髪に勝手に触るのはどうなのだろうということに気付き、スザクは慌てて謝った。
「スザクさんの手は優しいですね。」
「え?」
「目が見えない分、別のところが少しだけ敏感になっているんです。」
「その・・・どうしてか、聞いても?」
どうして目が見えなくなったのか。
生まれつきか、何かの災難か。
デリカシーのない事を聞いている自覚はあったし、申し訳ないという罪悪感もあったのだが、スザクは思わず尋ねてしまった。
さして気にする様子もなく、ナナリーはただ苦笑した。
「事故、だったんです。その事故でお母様は亡くなって、私は目と脚を。頭を強く打ってしまったらしいお兄様は聴覚を失いました。」
「・・・そう。」
払った犠牲が、事故の大きさを物語っているようだった。
しかし嘆いている様子は無いナナリーは微笑んでいる。
その上ふふっと笑いを漏らすものだからスザクは目を剥いて首を傾げてしまった。
ごめんなさい、と謝ったナナリーは本当に楽しそうだった。
「最近お兄様ったら、ずっとスザクさんの話ばかりされているんです。きっととてもスザクさんのことが好きなんですね。」
「そう、だと嬉しい・・・な。」
「絶対そうですよ。口を開けばずっと『スザク』って・・・私、少し妬いてしまいそうです。」
「ナナリーちゃん・・・」
「ナナリー、と呼んでくださいな。私とも仲良くしてくださいね。」
ナナリーに花か咲き誇ったような笑顔を向けられて、つられるように微笑んだ後。
ふと、スザクは首を傾げた。
口を開けば。
言い方の例えなのかもしれない。
しかしまるでそれは、ルルーシュがナナリーと『会話』をしていたようにも聞こえる。
考えても見れば、ナナリーの唇の動きで何を言いたいのかルルーシュが知ることは出来ても、目の見えないナナリーにはルルーシュに言葉を伝える術がない。
手話ならそれも可能なのかもしれないが。
訝しがるスザクの様子にナナリーも気付いたらしく、こてんと首を傾げた。
「スザクさん、もしかしてまだお兄様の声・・・お聞きになっていないんですか?」
お聞きになっていないんですかも何も、スザクはルルーシュが声を出せるということを知らない。
障害があるのは耳だったが、彼が声を出さないことから、てっきり出せないものだと思い込んでいたのだ。
「お兄様は中途失聴者ですから音がどんなものか知っています。だから声を出すことは可能なんですよ?」
「そう・・・なん、だ・・・。」
何をこんなに落胆しているのだろう。
彼の声は出るということが分かって、普通は喜ぶべきなのだろうに。
スザクはやりきれない思いを抱いた。
まだ自分は声を聞かせるに値しない存在なのだと。
「ルルーシュ」
名を呼ぶ声に目蓋を震わせたルルーシュは、ゆっくりと目を開く。
額の汗をタオルで拭いてくれるスザクをしばし呆然と見つめ、やがて驚いたように目を見開いた。
がばりと起き上がり、サイドボードの時計を見る。
PM8:24。
デジタルの時計の示した表示にルルーシュは絶望した。
やっとの思いでスザクを家に呼ぶ約束をしたというのに。
そして午前中のうちに来るスザクのためにランチとデザートまで用意したというのに。
何もかもが馬鹿馬鹿しくなって、ルルーシュは涙が浮かびそうになるのを唇をかみ締めることで堪える。
「ナナリーに聞いたよ。なんだか朝から具合が悪そうだったって。それならメールしてくれれば日にちなんていくらでもずらしたのに。」
ルルーシュは顔をすっと逸らしてスザクと視線が合わないようにした。
スザクはスザクでそれ以上何も言わないものだから、長い静寂が訪れる。
「ねぇ、ルルーシュ。」
唇の動きで会話の内容を知るルルーシュ。
それはお互い顔をつき合わせないと会話が出来ないということだ。
身を乗り出したスザクはベッドの上に膝を乗せ、重心をそちらに傾ける。
まるで馬乗りだ。
スザクの手が、ルルーシュの顔を固定する。
強い力。
ルルーシュはスザクから目が離せなくなった。
「ねぇ、ルルーシュ。」
ふるっとルルーシュの唇が震えた。
目は不安げに揺れている。
「君のコエを聞かせて、って言ったら・・・君は僕の事を嫌いになる?」
勿論ルルーシュはそれに何も言わなかった。
「筆談でもいい・・・君と話せるなら。でもね、今だけ・・・一度でもいいから、君のコエが聞きたい。」
本当は出せるのに、わざと出さない。
それにはきっと何かの理由があるはずだ。
もしかしたら何か傷やトラウマがあるのかもしれないし、赤の他人が掘り進めていいものではない。
それでも、スザクは声が聞きたかった。
好奇心でもなんでもない。
ただ。
「僕は君の全てが知りたい。」
目は口ほどにものを言う。
ルルーシュの紫電の瞳は動揺で揺れていた。
これで折角築き上げた関係が簡単に崩れてしまうかもしれない。
でも折角仲良くなったのに、一線を引かれているような今の状況が悔しくて、悲しかった。
目の奥が熱くなって、スザクは目を閉じる。
そっと、ルルーシュの手が頬に添えられた。
「スザク」
小さな、震える声。
それが鼓膜を震わせた瞬間スザクは目を剥いた。
泣きそうにルルーシュは笑っている。
「俺も、お前のオトが聞きたい」
少し舌足らずに聞こえなくもない、それでもしっかりとした、彼の声。
嬉しい反面、罪悪感に苛まれた。
「ごめん、ごめん・・・ごめん、ルルーシュ・・・」
無理にコエを求めたこと。
それで傷つけてしまったかも知れないこと。
そして、感情を抑えられないこと。
それらに詫びながら、スザクは涙を流す。
あふれ出した感情は、内に秘めたままにしようと思っていたことまで簡単に外へと押し出してしまう。
「好きなんだ、君のことが・・・」
応えることも、拒絶することもしない。
ただ黙っているルルーシュに、スザクは己の脈打つ心臓が止まってしまえばいいのにと自嘲した。
鳴り止まない
完 結 !
とか言ったら石投げられそうなくらい、これまた中途半端ですねぇ。
なんで喋らなかったのかとかの描写も本当はあったんですが挫折しました。