「何だ、また来たのか。」


酷い言い草だと、スザクは笑いながら椅子に腰かけた。

恋人であるルルーシュは身体が弱かった。

幼い頃からの長い付き合いだったが、物心ついた時には既に彼は臥せっているというイメージが板についていて、いつもベッドの住人である彼との時間は限られていたものであり、かけがえのないものだった。

具合がいい時はベッドの上で身を起こしているし、悪い時は横になっている。

その日によって違う彼の体調を気にしながら他愛のない会話を交わして、そして一日を終えるのだ。

それがもう何年も前から変わらない日課。


「お前も余程暇人なんだな。」

「人聞きの悪い。暇人なんじゃなくて、ここに通うことを考えて毎日の時間配分を考えているだけだよ。」

「お前にはもっとやる事があるだろう。」

「はいはい、どうせ僕は君に勉強を見てもらわないと落第寸前ですよ。」


高校に通うスザクとは違い、ルルーシュは一日を自宅で過ごしている。

自宅といっても郊外の静かな立地に佇む、まるで別荘のような場所だ。

空気の良さで選ばれたその場所へ通うには、片道1時間かかる。

それがなければもう少し長く共にいられるのだが。

そんなわけでルルーシュは普通高校ではなく通信制の高校で勉学に励み、その類希なる頭脳をもって課程をいち早く修了したのだが、成績がいつもギリギリなスザクの勉強を見ては深いため息をつくのだ。

いつもは勉強の話題になると口煩い説教が始まるから、スザクはその場で身構えたのだが。

今日のルルーシュはどこか機嫌がよく、眉間に皺一つ寄せていない。

それどころか、いきなり声を上げたのだ。


「よし、今日は外に出よう!」

「・・・は?」


唖然とするスザクを他所に、ルルーシュは意気揚揚とベッドから降りて、ワイシャツの上からカーディガンをひっかけた。

寝ていたとは思えないほど寝癖もなくすっと伸びた黒髪を手櫛で数回梳いてから、日除けらしいキャップを目深に被る。


「さぁ、行くぞ!」

「行くぞって、何処に?」

「外!」

「だからそれが漠然としすぎなんだって。」

「今日は天気がいい。だから外を走るんだ。」

「え、走るの?君が?」


体力がない君が、と再度スザクは呟いた。

それにルルーシュは勿論むっとして眉間に皺を寄せる。

失礼な、などとブツブツ呟きながらルルーシュは数歩歩いて。

そして。


「うわっ!」

「走るのはお前に決まっているだろう。」


そう言いながら、ルルーシュはスザクの背に飛び乗ったのだ。

崩れたバランスをどうにか安定させながら体勢を立て直したスザクは肩辺りにあるルルーシュに横眼の視線を送る。

それにキョトンとしたのはルルーシュだった。


「まさか、俺をおぶった状態ならば走れないとでも言うつもりか?」

「いや、余裕だけど・・・君軽いし。じゃなくて君は外に出て大丈夫なのか?」


先ほど廊下ですれ違った彼の妹のナナリーは、熱がやっと引いたのだと涙ながらに安堵していた。

病み上がりの状態で外に連れ出せば、間違いなくまた体調を崩してしまうだろう。

大切な妹を悲しませるのは彼の本意ではない筈だ。

そうスザクはルルーシュを諭したが、ルルーシュは暫く黙って何かを考えた後、顔を上げて苦笑した。


「俺の我儘だ。」

「ルルーシュ?」

「俺の、最後の我儘だ。最後くらい聞いてくれてもいいだろう?」


我儘は、これで本当に最後にするから。

そう重ねて言われれば、スザクに断ることはできなかった。

首に腕を回したルルーシュのぬくもりを感じながら、スザクは家を飛び出した。

走る。

ただひたすらに。

痩せたルルーシュの身体は苦になる重さでは全然なくて、それに恐怖にも似たはかなさを覚えながら、スザクは走った。

なるべく振動を与えないように。

完全に振動を与えず走るなんてこと出来るわけがないから、本当に気持ちの問題だ。

腕に巻きついた彼の腕に、力が籠る。

首を傾げたスザクに、ルルーシュはほほ笑んだ。


「忘れないよ。お前と見た、この風景を。」


もう暮れかけてオレンジ色に染まった空を背景にそう笑ったルルーシュは、本当に綺麗だった。














その日の夜遅く、急遽ランペルージ家に呼ばれたスザクを迎えたのはすすり泣く声と罵声だった。


「あなたがッ・・・あなたがあんな状態の兄さんを外に連れ出したりするからッ!」

「やめてロロッ・・・スザクさんを責めてもお兄様は悲しむだけです・・・」


そのやり取りはあまり頭には入ってこなかった。

何故ロロが怒り、ナナリーが悲しんでいるのか。

その理由をもう分かっているはずなのに、それを認めたくなくて。

受け入れたくなくて、スザクは駈け出した。

慣れ親しんだ道順を辿って、彼の部屋の扉を開け放つ。

彼がいつも眠っているはずのベッドの脇に立っていた医者が、スザクを見て目を細めた。

踵を返した医者が小さく首を横に振って。

そしてスザクの横をすり抜けるように部屋から出て行く時、静かにスザクの肩を叩いた。

それがどういうことか。

頭が真っ白になった。

力が抜けそうになる足を叱咤して、ベッドへ歩み寄る。


「る、るー、しゅ」

「なん、だ・・・す・・・ざ、く・・・」


また、きたのか。

ゆっくりと、かすれた声でそう言ったルルーシュはほほ笑んでいた。

ベッドの横に膝をついて、彼の細い手を握り締める。

骨の浮き出た手は妙に熱かった。

何かがこみ上げてきて涙が浮かぶ。


「す、ざ・・・」

「・・・ああ、うん。ここにいる。ははっ、ロロに怒られちゃったよ。僕が君を連れ出したせいだって。」

「ろ、ろ・・・には、おれからいって、おく・・・」

「・・・っ・・・君、は・・・あれが最後の我儘だって言ったね。」


もしかして、何もかも分かっていたのか。

その問いに、ルルーシュは応えなかった。

もしかしたらもう応える力も残っていないのかもしれない。

苦しそうに、というか少し眠そうに、ルルーシュは目を細めている。


「ルルーシュ、僕は・・・」

「おれ、の・・・ことは、わすれ、ろ・・・」

「・・・え?」

「ふりかえ、るな・・・おまえは、まえをむいて、いるほ、う、が・・・にあっ・・・る」

「酷いな・・・君を想い続けることすら僕に許してくれないの?」

「ゆるさ、ない・・・」


そう笑って。

その後小さく呟く。

今までありがとう、と。

目の奥が熱くなる。

もういっそ声を上げて泣いてしまおうかとも考えたのだが、部屋に入ってきたナナリーとロロに、やっぱりやめようと嗚咽を飲み込んだ。

場所を譲ろうと立ち上がったスザクに、ナナリーは首を横に振った。

ロロに支えられてやっと立っている状態のナナリーは、懸命に微笑む。


「二人きりに・・・させてあげれなくて・・・ごめんなさい。」

「いいんだよ。」


彼の家族ではない自分がここにいて、彼の家族がここにいることが出来ない理由など存在しない。

どうやらロロは納得してはいないようだが、ぐっと唇を噛みしめて堪えているようだった。

スザクがルルーシュに視線を戻すと、ルルーシュはもうほとんど目を閉じていた。

慌てて頬に手を添えると、それにぴくりと瞼を震わせたルルーシュがのろのろと目を開ける。


「眠いの?」

「ああ・・・すごく、ねむい・・・」

「・・・そっか。」

「うまれ、かわったら・・・ねこにでも、なりたいな・・・」


おまえ、ねこすきだろう?

そう微笑まれたのだが、それにスザクはすぐ頷く事ができなかった。


「好きだけど、困るな。僕猫には好かれないから。」

「だから、ねこが、いい」


ひどいな、と苦笑したスザクにルルーシュの白い手が伸びてくる。

屈んだスザクの後頭部に添えられたその手が、引き寄せるようにスザクの頭を動かそうとする。

今のルルーシュの渾身の力なのだろう。

それに抗うことなく頭をルルーシュに近づけていくと、やがて浮かんだ疑問に目を剥いた。


「ルルーシュ、それは誘ってるの?」

「・・・・・・」

「ナナリーも、ロロもいるよ。前に二人がいるところでしたらすごい怒って暫く口きいてくれなかったじゃないか。」

「い、・・・から・・・」


ちらりと目をやれば、ナナリーとロロは目を瞑っていた。

気を使ってくれたのだろう。

苦笑しながら、吸い寄せられるように彼の色の悪い唇を目指す。

あと1センチもないところまで来たとき。

その唇が、小さく動いた。

声にならないそれはただ漏れただけの息だったが、それでも「スザク」と言ったのだと分かる。

それにまた涙が浮かびそうになりながらさぁ食らいついてやろうと意気込んだとき。


「・・・ッ」


顔にかかっていた、彼の熱い吐息が不意に途切れた。

薄く開いていた瞼から覗いていたはずのアメジストが見えなくなる。

己の髪を掴んでいた細い手が、力が抜けたようにだらりと落ちてベッドに沈んだ。

ああ、終わったのだと。

これで彼は長年の苦しみから解放されて、自由になれたのだと。

彼が解放された代わりに、己が彼に囚われ続けるのだと。

己の涙が彼の頬にぽたりと落ちて一本の筋を作っていくのを見てそう思いながら、スザクはそっと口づけを落とした。







空色











「スザクさん、猫を飼い始めたら、会わせてくださいね。」

「え、猫?どうして?」


そう首を傾げると、そんなスザクをロロは「あなたは本物の馬鹿ですか」と罵った。

それを諌めながら苦笑したナナリーが、物言わぬルルーシュの髪にそっと触れた。


「猫に好かれないスザクさんにすり寄る物好きな猫がいたとしたら、それがお兄様でしょう?」

「はは、そっか・・・そうだよね・・・」


分かりやすいな、と苦笑しながら。

熱を持った自分の目に、冷たくなっていく彼の手を押しつけた。







続き読みたい企画第一弾でしたー。
『いつか見たあの空は』の過去編になります。
まぁぶっちゃけ元々書いてありまして・・・UPしようかどうしようか迷ってそのままにしてました(相変わらずの死にネタですし@@)
でも続編を望まれる方がいらっしゃってめでたくお蔵入りを逃れましたw
本当は過去編じゃなくて本当の続編もあるんですが、まぁそれはまたいつかの機会に^^



2009/08/29 UP
2011/04/06 加筆修正