「ちーちーうーえー。」


空に向かって叫ぶ女性一人。

それは容姿での意味であって、本来は男性一人。

ルルーシュは沈黙したままの父親を呼ぶ。

何故空に向かってなのかといえば、他に視線のやり場がないからだ。

誰かの顔を見ながら「ちーちーうーえー」と呼ぶのは嫌だ。

だからといって庭に向かって一人で、しかも真顔で「ちーちーうーえー」と呼ぶのも何か違う気がする。

空が一番都合がいい。

よく死人について「お空の星になったんだよ」だとか「雲の上に住んでいるんだ」などと子供に言い聞かせる親がいるくらいだ。

空であれば何かしらの迷信で通る。


「ちーちーうーえー」


紅茶を飲みながら、その姿を後ろから見つめるナナリーとスザクは何とも言えないといった表情だ。

あれが世界を恐怖に陥れた稀代の悪逆皇帝の姿か。

庭園で、腰に手を当てて空を仰ぐ彼(今は彼女)が。

やるせないのは何故だろう。

痺れを切らしたナナリーが車椅子を動かす。


「お父様からお返事が来ないのですか?」

「そうなんだ。全く・・・何をやっているんだか・・・。」

「では・・・」


ナナリーが手招きをして、ルルーシュが首を傾げて中腰になる。

耳をナナリーに近づけると、彼女はそこで何か囁いた。

『マリアンヌ』の整った顔が歪む。


「それは・・・」

「大丈夫です。きっとお父様は応えてくださいます。」


微笑まれればルルーシュは逆らえない。

シスコンの性というものだ。

例えその行為が、己のプライドをズタズタに切り裂く結果を遺すとしても。

ルルーシュはすぅっと息を吸い込む。

空に向かって両腕を広げた。




「愛しのシャルルー!!」




紅茶を口に含んでいたスザクがブー!っと噴出した。

霧状の紅茶が宙を舞う。

ルルーシュ自身も項垂れていたのだが、やがて脳内に響いた声に顔を上げた。


(マリアンヌゥゥゥ!!!)

「・・・・・・」


今まで目の仇にしていた父親の本質はこの程度のものだったのか、と。

少し泣きそうになりながら空を睨みつける。


「父上。」

(むぅぅ・・・ぬぁんだ、ルルゥゥゥシュかぁぁあ)

「何だ、じゃありません。結局どうやって帰るか分からないんですよ。」

(わしの私室に行けと言ったであろおぅ。)

「ペンドラゴンはシュナイゼル兄上が綺麗に消してくださいました。父上の私室どころか宮殿すらありません。」

(ぬぁあああにぃぃぃぃ!?)


脳内に、叫び声が響く。

正直煩い。

そして頭が痛い。

しかしその後、あっさりとシャルルは言った。


(じゃあ早く帰ってこい。)

「・・・はぁ!?」


そう言われた。

何と呆気ないことか。


「だから、どうやって。」

(その身体から抜ければよかろう。)

「だーかーらー、どうやって!」

(抜けようと思えば抜けれるだろう。)

「は?そんなの・・・っ!」


身体の力が抜けた。

膝がガクリと折れ、耐え切れずに身体が傾ぐ。

その場に崩れ落ちたルルーシュを慌てて立ち上がったスザクが支えた。

ああ、これが。

それが率直な感想だった。

力が抜け、感じるのは浮遊感。

心配そうに見つめてくるナナリーとスザクに微笑んで、ルルーシュは何とか立ち上がった。

このまま身体を抜け出せば恐らくは自然と還る事ができるだろう。

ふぅっと息を吐いて、腕を掴んだままのスザクの顔を見た。

じっと見つめればそれにスザクは何か感じ取ったようで、目を逸らされる。

小さく、スザクが呻いた。


「・・・行くのか。」

「ああ。帰り方も分かったしな。俺はもうこの世界には干渉するべきではないし。」

「嫌だ。」

「嫌だ・・・って。お前な・・・。」


ぎゅっとスザクが抱きしめてくる。

離してたまるものか。

その想いが伝わってきて、どうしたものかと困ってしまう。

嬉しくないといえば嘘になるが。


「とりあえず放してくれ。」

「だって君、もう来ないつもりだろう。」

「よく分かるな。少し『ゼロ』らしくなってきたんじゃないか?」

「嬉しくない。」


さて、どうしよう。

そう考えたとき。


「お兄様を放してさし上げてください、スザクさん。」

「ナナリー、君は」

「勿論私だってお兄様にずっと傍にいて欲しかった。だって私の全てはお兄様だったんですもの。」


ナナリーの、淡い紫の瞳が揺れる。


「でもお兄様は『明日』の為に逝ってくださったんです。お兄様に『明日』をもらった私達が後ろ向きではお兄様に申し訳が立ちません。」


押し黙ったスザクの拘束の力が緩まり、ルルーシュは黙ってその腕から抜け出す。

罰を受けて死んだはずだったのに。

『今』が嬉しくて、幸せで仕方が無い。

別れを惜しんでくれる友がいて、意思を酌んでくれる妹がいる。

この上ない幸福。

ああ、優しい世界はここにあったのだ、と。

自分に与えられるはずが無かった世界はちゃんと、自分に与えられていたのだ。


「お兄様・・・泣いているのですか?」

「ん、ああ・・・本当だ。」


頬を涙が伝っていて。

それに触れて濡れた指先をじっと見つめる。

こんなにも穏やかに泣くことができるのだ。

今の『世界』は。


「ありがとう、スザク。」

「ん?」

「お前のおかげだ。」


何が、とは言わない。

スザクも聞くことは無い。


「ありがとう、ナナリー。」

「お兄様・・・」

「お前のおかげだ。」


ナナリーも追求はせず、ただ微笑むだけだった。


「世界はまだ、棄てたものじゃ無かったよ。」

「君が創ったんだ。その世界を。」

「お兄様とスザクさんが、です。」


3人で手を取り合う。

自分の手が本来自分のものではないことがもどかしかったが、それでも伝わる体温は本物だった。

すっと目を閉じる。


「いつか、また。」


スザクは涙を流して、何かを堪えるように唇を噛み締めている。

ナナリーも涙を流して、それでも微笑んでくれた。

浮遊感に身を任せる。



いつか、また。



もう声に出しても彼らに届くことは無かったけれど、何度も何度もそう繰り返した。








嗚呼、素晴らしき世界!










「おかえりなさい、ルルーシュ。どうだった?貴方の創った世界は。」

「優しさに、溢れていましたよ。母さん。」



完結!
ここまでお付き合いしてくれた皆様、本当にありがとうございました!
シリーズ『嗚呼、素晴らしき世界』はこれで終わりです。
番外編などはリクエストがあれば書こうとは思います。
キリバンでも狙ってみてください(笑)

ルルーシュに幸せあれ!


2008/10/22