それから3日間。祝日やら開校記念日やらで大学の講義が休みで、特に予定も無かった為チャンスとばかりにアルバイトに没頭していたスザクの視界に、何故かその少年は度々入るようになった。
会って話をするわけではない。むしろスザクが彼に近づこうとすると彼は逃げるように消えた。
脚力に自信のあったスザクでさえいつも煙に巻かれたように見失ってしまう。
話がしたいだけだった。
何故あの日、別れた女に襲われる事を知っていたのか。
それも気になるところではあるけれど、もし言いたくないのならそれでもいい。
でもせめて、彼の名前くらいは知りたかった。自然とため息が漏れる。
「何だ、盛大なため息を吐いて。」
柄にも無く盛大に震えて、ぎょっとして振り返るとそこには正にスザクの悩みの種である少年が立っていた。
因みに今いる場所は自宅である。いつの間に、どうやって入ったのだろう。
しかし半ば無意識に、拒絶されるかされないかなどと気にする間もなくスザクは彼の腕を掴んでいた。
彼は拒絶する事はなく、ただ怪訝そうに眉を寄せた。
「何だ」
「いや、君が逃げるかと思って」
「俺が逃げるだと?いつそんな事をした?」
「いつも・・・っていうか何でここにいるの。鍵は?」
「かかっていなかった」
「あ、そう」
「とにかく放してもらおうか」
スザクの腕を振り払った彼が逃げるのではとスザクは一瞬身構えたが、それとは裏腹に彼はゆっくりとベッドに腰掛けた。
初めて会ったのは丁度2週間ほど前。
しかし2週間ぶりにまじまじと見る彼は、少し背が伸びたように見えた。成長期だろうか。
そしてつま先から顔までを目で辿って、ふと違和感を覚えた。
彼の瞳は、こんな色だっただろうか。
印象に残っていた深紅より少し青みがかっている気がする。紫に近いそれだった。
「何だ」
また彼は不機嫌そうに言った。
「色々聞きたい事があるんだけど」
「答えられる事なら答えるが、答えたくない事には答えない」
「君の名前は?」
いきなり無言だった。
最初の質問から彼は答える気が無いらしい。
「じゃあ何て呼べばいいの?」
「好きにすればいい」
「そう、じゃあ玲子さん」
「れ、玲子?」
「この前、君の言うとおり夜道で背後から僕を襲ってきた女の子の名前だよ。いい呼び名が思いつかないから一先ずこれで」
「・・・・・・・・・・・」
「玲子さん?」
「・・・・・・ルルーシュだ」
「え?」
「俺の名を呼ぶ必要があるのなら、ルルーシュと呼べ」
不服そうに告げられたのは彼の本当の名前だったらしい。
「じゃあルルーシュ。」
「何だ」
「君は何者?」
「質問の意味が分からない」
「何であの日、玲子さんが僕を襲うって知ってたの?」
「あの日言っただろう。俺は『聞いた』だけだと」
「でも君の口ぶりからすると、話はしていないんだろう?」
ルルーシュは黙った。答えたくないのか。
彼の名前のようにどうにか聞き出す方法は無いものかと考えるが、妙案は思いつかなかった。
そもそも名前だってただ運が良かっただけで、狙ってやったわけではなかったのだ。
「じゃあ質問を変えるよ」
「もういいだろう。俺は帰る。」
「何で、ここに来たの?」
ルルーシュはぴたりと動きを止めた。
驚きに見開かれた瞳の色に、スザクは視線を外せなくなった。
勝手に身体が動く。ルルーシュに近寄ろうとする。
しかしルルーシュはさっと顔色を変えて、腕で口と鼻を覆い眉を寄せた。
「ルルーシュ?」
「それ以上近寄るな」
「え、何、僕なんか臭い?」
「そうじゃない。でも近寄るな、頼むから」
切羽詰ったような声を漏らして、ルルーシュはおもむろに立ち上がると窓を開けた。
窓の桟に足をかけ、身を乗り出そうとするルルーシュを慌ててスザクが捕まえる。
「離せ」
「嫌だ。僕が気に食わないんだったら帰ってもいいよ。でもせめて玄関から出てくれ。」
「何故」
「ここは5階だ。窓から飛び出して無事な高さじゃない。」
「問題無い」
「あるって!」
スザクの声を遮るように来客を知らせるチャイムが鳴り響いた。それに一瞬でも気を取られてしまったのが失敗だったのだ。
スザクの腕からするりと抜け出したルルーシュはそのまま窓の外に身を投じる。
慌てて伸ばした手も少しの差で届かず、そのまま窓に縋りついたスザクは下を覗き込んだ。
そして、嘘だろう、と思った。
スザク自身でさえこの高さから飛び降りて、何も問題ないとは思えなかった。
ルルーシュほどの少年なら尚更だ。骨折で済めば良かったといえるかもしれない。
しかし彼は特にダメージを受けている様子も無く、すぐさま走り出して夜闇に消えてしまった。
唖然とするスザクの耳に、催促らしい2度目のチャイムの音が届いた。
ふらふらと立ち上がりスザクは玄関へと向かった。
彼が無事だったとはいえ、そもそもこんなに肝を冷やしたのはこのチャイムとそれを鳴らした人物のせいではないだろうか。
逆恨みもいい所ではあるが、そもそも来客に心当たりが無かったので、もし悪戯であったなら容赦しないとドアを開ける。
「あら、どういたしましたの。そんな怖い顔をして。」
眼前で首を傾げた人物に、スザクは驚いた。
「どうしてここに」
「お借りしていたCDを返そうかと思いまして。貴方のお友達に住所を聞いてしまいました。」
彼女、ユーフェミア・リ・ブリタニアは同じ大学に通う留学生だった。
学科は違っていたものの、その容姿といい所育ちらしい気品や振る舞いで学内全体が騒いでいたのは記憶に新しい。
偶々友人伝で知り合う機会があった。それだけだった。CDを貸した事すら忘れていた。
「お邪魔してよろしいかしら?」
「・・・まぁ、いいけど。」
部屋にあがり、興味深そうに彼女は部屋を見渡している。
そもそも男の一人暮らしの場に普通に上がりこむとは。お嬢様育ちというのはただの噂だったのか。
そんな事をぼんやり考えているスザクの目の先で、ユーフェミアはすっと目を細めた。
「お客様でもきてたのかしら」
「え、どうして?」
「いいえ、何でもありません。それよりもスザク。」
貸していたらしいCDを彼女が手渡ししてくる。受け取った途端、その手をCDごと絡め取られた。
ヒヤリとする体温に一瞬どきりとして、それから彼・・・ルルーシュの事を思い出した。
5階から飛び降りて本当に彼は無事だったのだろうか。何事もなく走り出したようには見えたが、普通の人間にそんな芸当はできるわけがないとスザクは思った。
ルルーシュとは一体何者なのだろう。
「スザク?」
「・・・あ、ああ、ごめん。なんだっけ。」
「貴方が自由になられたとお聞きしました。」
「自由?」
「彼女さんと、別れたのでしょう?」
「情報が早いね。誰から聞いたの。」
「噂とは広まるのが早く、止められないものですわ。」
それで、とスザクはその先を促した。しかし大体の予想は出来ている。
「わたくしとお付き合いしてください」
何故なんだ。スザクは内心ゴチた。
噂が広まるのが早いのなら、結末も一緒に広まっているはずだ。
長続きなどしない、愛など伴わない、虚しい関係。
それでも何故彼女達は向かってくるのだろう。
「君の事好きって訳じゃないけど、それでもいいなら」
答えは他の女性と変わらない。彼女がお嬢様で箱入りだったとしても、彼女だけ特別扱いはしない。
しかしユーフェミアは握ったままだった手に少し力を込めた。
「当然ですわ。わたくし達はまだ知り合って間もないのですもの。これからお互いの事を知り合えばいいのです。」
それが合図。また始まるのだ。じきに歪む事など分かりきっている関係が。
「じゃあ、いいよ」
スザクの気の無い返事にも、ユーフェミアは花が咲いたような笑みで応えた。
そしてスザクは気付かなかった。気付けなかった。
ユーフェミアのその笑みの、視線が一瞬窓の外に向けられたのを。
ユフィ好きさん注意な展開になる予定です