「珍しいな、お前から私を訪ねてくるとは」
ゆったりと椅子に腰掛けたゼロは、血色の悪い顔に笑みを浮かべて来訪者を見上げた。
ナイトオブゼロ、枢木スザク。
大切な弟の騎士である彼は表情を強張らせていて、これは何かあったなとゼロは居住いを正す。
スザクは何か言いたげな、それでいて言い辛そうな表情で黙り込んでいる。
「どうした?」
「・・・体調は?」
「相変わらず、といったところか。だがお前の相談に乗るくらい何でもないよ。」
まさかただ体調伺いの為だけに来たわけではないだろう。
そうでなければ他に彼が何を考えるかはある程度予測がつく。
「ルルーシュに、何かあったか」
「・・・っ」
「何があった?」
相変わらず口を噤むスザクに、ゼロはゆっくりと立ち上がりスザクを来客用の椅子に腰掛けさせる。
何やら思いつめた表情のスザクを尻目に見ながら紅茶を淹れて戻り、再度スザクを見た。
「枢木」
「・・・僕は今でもルルーシュの全部を赦しているわけじゃない。」
「そうだろうな。それで?」
「それでも、僕は・・・彼に、死んでほしくない」
死んでほしくない、という不穏な響きの言葉。
心臓を鷲?みにされたような衝撃に息を詰めながら、ゼロはスザクを見つめ次の言葉を待った。
ギアスの代償として『消費』されたゼロの身体は当然健康体ではない。
一度シュナイゼルに捕らえられた時酷使した身体はあらゆる弊害を齎し、辛うじて日常生活を送れる程度までゼロを弱らせた。
昔のように自由は利かない。だからゼロは表舞台から身を引いた。
元々存在しない人間であるゼロはそもそも真の表舞台には立てはしなかったのだが、以前のようにルルーシュの負担を減らすべく役割を分担する事もできなくなった。
というより、ルルーシュがそれを許さなかった。
ゼロと、ゼロまでとはいかなくとも負担を強いたロロからあらゆる役目を奪い、ナナリーというある意味一番影響力の強い監視をつけて、ブリタニア宮の一角で穏やかな生活を送ることを強制した。
ゼロとロロはその振る舞いに一切不満がないとは言えなかったものの、二人で話し合い、そうする事で日々激務に追われるルルーシュの心労が少しでも減らせるならと表向きはルルーシュの意向を甘受した。
しかしやはり、全てに肯いてはいられない。
黙って見過ごす事が出来る事と、出来ない事がある。
ましてや未だ確執の残るスザクが自ら助けを求めてきたのだ。
スザクですらも動いたのに、己が動かずいられるか。
ゼロはふうっと息を吐き、目の前の扉を見据えた。
コンコンとノックをすると、素っ気無い応が返ってくる。
ゆっくりと扉を開く。視界に捉えたのは、目を剥いた片割れだった。
「ゼロ、どうしてここに」
「今日は体調がいいからな、たまには弟の顔でも見ようと」
「そういう嘘は鏡で自分の顔色を確かめてから吐け」
言葉は素っ気ない響きを含んではいるが心底心配しているのだろう、ルルーシュは慌てて立ち上がるとゼロの手を引いて導き、執務室のソファーに半ば無理やり腰掛けさせた。
熱の有無を確かめるかのように額に手が添えられて、その手の冷たさにゼロが目を細める。
「本当に、一体どうしたっていうんだ」
「お前のご機嫌伺いに」
「ゼロ」
「・・・というのは口実でな。忠告に来たんだ。」
「忠告?」
「そう、忠告だ。馬鹿なことはやめろ、とな。」
「何の事だ」
「鎮魂歌」
ルルーシュの眉がピクリと跳ね、纏う空気が一瞬にして変化する。
鎮魂歌。レクイエム。以前、ルルーシュの口から意味深に語られたそれ。
その単語に反応すると言う事は、やはり騎士の言う事に間違いは無かったかと嘆息する。
間違いであって欲しかったというのが本心ではあるが。
「・・・誰から聞いた?ピザ女か?」
「いや、お前自慢の騎士様からだよ」
「アイツっ・・・何を考えて・・・」
「お前の事を、考えて。そして私に知らせてくれた。」
ルルーシュは口を噤み、ゼロも次の言葉をただ黙って待つ。
張り詰めた空気。重い沈黙。
それを最初に破ったのはルルーシュの方だった。
「・・・もう、決めた事だ」
「ルルーシュ」
「誰が何と言おうと俺はやり遂げる。世界を、優しくしてみせる。」
「それで本当に世界は優しくなるか?」
「俺の計画に狂いは無い。」
「本当に?」
「諄い」
「お前がそういう姿勢を崩さないのなら、私にも考えがあるからな」
ゼロは目元を撫でた。
己の意思と、愛する者の意思で封じてある、王の力を宿した瞳。
「ギアスを使ってでも、止めるぞ」
「・・・ギアスを使ったら絶縁だと言ったはずだ。」
「お前が死ぬより幾分かはマシだよ。」
「・・・・・・お前が、死ぬかもしれないんだぞ」
「それは、お前が死ぬよりかはずっといい」
「怒るぞ」
「怒ればいい。お前が頑なであると同時に、片割れたるこの私も同じように頑ななんだ。」
また、ルルーシュは黙った。
きっと脳内で己を黙らせる策を何十通りも考えようとしているのだろう事がゼロには容易に想像できる。
こんな緊迫した時でさえ、そんな必死さを滲ませる目の前の片割れが可愛いと思うし、愛しいと思うのだ。
病気だ、と思いながら、ゼロは優雅に笑った。
「『ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア』が世界の為に死ぬ必要が本当にあるのなら、私はお前のふりをしてでもお前を生かし、死ぬぞ。お前のいない世界などにのうのうと生きていても意味はないからな。」
「ゼロ!」
「なんだ、私が死んで自分だけ取り残されるのが嫌なのか?それならば私の気持ちも考えろ。お前が嫌なように、私だって嫌なんだ。」
「・・・っ」
「私だけじゃない。ナナリーやロロや、・・・枢木の気持ちを考えたか?『奪う』事に慣れるな。奪われる側にもちゃんと意思は存在するのだから。」
そこまで言って、ふわりとゼロは笑った。そのあまりにも慈しみに満ちた表情に一瞬息を呑んだルルーシュの髪を、ゼロがゆっくりとした動作で撫ぜて。謡うように囁く。
「ただの脅しだ。」
唐突な言葉にルルーシュが眉を寄せた。
「なん・・・だと?」
「今までのは脅しだよ。脅しの内に考え直したほうがいい。私には確実にお前を止める方法・・・奥の手がある。まぁどの道お前には恨まれてしまうだろうが。」
絶縁されるよりはいいなと笑うゼロ。
ゼロの本気を感じ取って身構えたルルーシュはぐっと唇を噛んで、低く唸った。
「・・・何を、する気だ」
「ナナリーに言いつける」
真顔で、実に簡潔にゼロは言った。
しかしその言葉の内容はルルーシュをたっぷり30秒フリーズさせるには十分すぎるものだった。
ナナリーに言いつける。
それはルルーシュがもっとも困るであろう魔法の言葉。
「因みに私にギアスをかけた所で無駄だぞ。私に何かあった時の為の保険は何十にもかけてあるからな。」
「・・・っ、の、性悪!」
「褒め言葉として受け取っておこう。」
「褒めてなどいない!」
「世界に一人くらいはお前を言いくるめられる人間がいてもいいだろう?」
勝ち誇ったかのような表情のゼロに、その後ルルーシュは渋々ではあるが計画の実行延期を約束させられた。
恐らくは、例えナナリーを引き合いに出したところでルルーシュの意思は変わらなかっただろう。
ゼロは本気半分冗談半分で告げたつもりだった。しかしある程度計画への余地が生まれたと言う事は、少しでも想いが通じたということだ。
枢木スザクの想いも、己の想いも。
今のところはそれでいい。この先同じことが起こるならば、何度でも止めればいいことだ。
その度一々肝を冷やすのも考えものではあるが、愛しい片割れのための苦労なら買ってでもしようと思ってしまうあたり、やはり病気なのだ。間違いない。
ふっと笑って、まるで舞台役者のように大袈裟な手振りをして、ゼロは謳った。
「ルルーシュ決死の計画頓挫記念だ。茶会でも開こうか。」
「は?」
「うん、それがいいな。たまには私が茶菓子を作ろう。」
「待てゼロ、お前体調は」
「そんなものどうとでもする」
「どうとでもって・・・何より俺はこれから会議が・・・!」
ルルーシュが言い終わるのより早くゼロは懐から取り出した端末を操作する。
繋がったのは緊張した面持ちの騎士だった。
しかし彼はゼロの表情から現状を悟ったのか、少し安堵したかのように肩の力を抜いた。
『要件は』
「枢木、今日これからのルルーシュの予定を全てキャンセルできるか」
『できなくはない』
「じゃあそうしてくれ。私主催の茶会を開く。お前も必ず出席するように。」
言われた言葉が理解しがたいものだったのか、反応が遅れたスザクに、ゼロが静かに頷く。
それにスザクも頷き返したところで、ルルーシュが力ずくでゼロから端末を奪った。
恨めしそうな表情で睨む様に、ゼロは隣でくつくつと笑った。
「スザクお前、覚えてろよ」
『・・・Yes,Your Majesty』
苦笑交じりに応えたスザクの表情が穏やかなものに変わる。
その様子にゼロの心境は複雑だった。
何だかんだで仲良く見える二人を目の当たりにすると胸のあたりが何やらモヤつくのは、嫉妬なのだろう。
大切な片割れが、奪われていく。
悔しくはないと言えば嘘になるけれど、選ぶのは己ではない。片割れの方だ。
「ゼロ」
いつの間にか物思いに耽ってしまっていたらしい。
ルルーシュの声で我に返ったゼロはルルーシュを見上げて首を傾げた。
「・・・ああ、何だ?」
「何だ、じゃない。行くぞ。」
「どこに?」
「茶会に出すもの、作るんだろう」
ぶっきらぼうともいえる言葉と共に、手が差し出された。
「手伝ってくれるのか?」
「お前のせいで俺の予定に穴が空いたんだ。責任は取ってもらうからな。」
ルルーシュの手を取ると、気遣いが含まれた力で引っ張られてゼロはソファーから立ち上がった。
先程までモヤついていた場所が、じんわりと熱を帯びる。
己はこんなにも単純な人間なのだと笑いも込み上げるけれど、とにかく目の前の片割れに愛しさが募って口元が緩むのを抑えきれない。
「ルルーシュ、可愛い」
「ほぁっ、な、なに、馬鹿なことを・・・」
「行こう」
「ゼロっ・・・!」
繋いだ手に力を込めて、ゼロは執務室の扉を開けた。
嗚呼、我が愛しの家族達へ