「陛下」


静かに、声が響いた。

顔を上げたルルーシュは眉を寄せて、神妙な面持ちの騎士を見やる。


「・・・正式な戴冠はまだだし、何より今は俺とお前の二人しかいないんだ。『陛下』はやめろ。」


お前にそう呼ばれるとなんだか気持ちが悪いと息を吐いたルルーシュは、手元の書類の山をどけて冷めた紅茶を呷った。

何より時間が足りず皇帝就任の宣言だけでもしてしまおうと話し合って、ルルーシュはメディアを通じ全世界に前皇帝の崩御と新皇帝の就任を伝えていた。

世界は混乱の真っ只中である。実に滑稽だと、ルルーシュはいつの日か嗤った。

空になったティーカップに新たな紅茶を注ぐべくティーポットに手をかけながら、スザクが横目でルルーシュを見やる。


「ゼロが目を覚ましたらしい」

「そうか」


何だそんな事か、とルルーシュの目が口ほどにものを言っていた。


「知ってたの」

「あれに付いているのはナナリーだ。報告なんてすぐに来る。」

「・・・意地なんて張ってないですぐ会いに行けばいいのに」

「意地など張っていない。この書類が片付いたら行くさ。」

「彼の身体のこと・・・怒っているのか」

「別に」


それに眉ひとつ動かすことなく違う書類を手に取ったルルーシュは然して気にも留めないかのように呟く。

しかしそれが、その無関心さこそが彼にとっての虚勢に過ぎない事など、スザクは当に分かっていた。

何て面倒な主を持ったものだと自嘲しながらスザクは歩みを進めてルルーシュとの距離を縮める。


「ルルー・・・」

「嘘をつかれた位で一々腹は立てない。そもそも俺自体が嘘吐きなのだから。」


己の嘘を容認し、人の嘘を咎めるような傲慢さは今のところ持ってはいない。

苦笑しながらそう告げれば、スザクは少し考えるような素振りを見せる。

どうしたとルルーシュが声をかけると、スザクはこてんと首を傾けた。


「じゃあ僕にも怒らない?」

「何が?」

「僕も、君に嘘をついた。」

「へぇ、どんな?」

「あの日、枢木神社で。君には特に何も無かったって言ったけど、実は結構話をしたんだよね。君の『お兄さん』と。」


ルルーシュは身を強張らせた。

ゼロが攫われたと知ったあの時、問い詰めたスザクが嘘を吐いていることは分かっていた。

ゼロは何らかの目的があって、スザクに会って、何かを告げて。

その内容も相まって、攫われたゼロをスザクは簡単に見捨てる事ができなかったのだろう。

そうでなければいくらナナリーに笑顔の圧力をかけさせた所でスザクは救出作戦への参加を断ったはずだ。

だから、何かあったのは確実だった。

しかしスザクはそれを隠そうとしたし、ルルーシュ自身聞くのが少しだけ怖かったというのもあって、あえて深く追求することをしなかった。

それが今、明かされる。

スザクは無いに等しい表情でルルーシュを見た。


「V.V.が死んだことで、紛い物の身体は存在を保てなくなる。世界を壊し、再生した後罪を裁かれるまで、自分は傍にいられないから・・・僕に、君を頼む・・・と。」


そういう話をしたのに、黙っていた。何も話さないままゼロは捕まったのだと嘘を吐いて。

ルルーシュは口の端をひくつかせながらも平静を保とうと努力したが、それも空しく、持っていた書類を強く握り締めすぎてそれに無数の皺が寄る。

やがて小さく何か呟いて、ルルーシュは書類を放り出し部屋を飛び出した。

あの馬鹿、と。

その悪態をしっかりと聞いていたスザクは散らばった書類を集めながらため息をついた。






















「あ、お兄様がいらっしゃいます。」


リンゴを剥いていたナナリーがふと顔を上げて、ゼロは首を傾げた。

よくよく耳を澄ましてみてもまだなにも感じない。

それは同じように傍にいたロロも同様。

長い間目が見えなかったナナリーは、視力を取り戻した後も感覚の鋭さを失ってはいなかった。


「感覚は健在だな。」

「ええ、それと・・・足音の感じからお兄様、相当怒っていらっしゃいますわ。」


それにゼロは嫌な汗が浮かぶのを感じた。

恐る恐るナナリーを伺い見る。


「そ、相当・・・とは?」

「私はお兄様が怒ったところをあまり見たことはありません。」


そりゃあそうだろう。

ルルーシュは妹命だ。

はははと乾いた笑いを漏らしたゼロに食べさせるべく剥いたリンゴをロロに手渡して摩り下ろさせながら、それから思いついたように「ただ・・・」とナナリーは続けた。


「ゼロお兄様救出の際ロロがギアスを使うなという言いつけを守らず乱用して一時意識不明になった時のお兄様を見ましたけれど、きっとあれは相当怒っていらっしゃる状態だったのでしょうね。」


それにゼロは顔を顰め、ロロは顔を青くして立ち上がる。

椅子がガタリと倒れた。


「・・・ロロ」

「ナ、ナナリー!ゼロ兄さんの前で・・・!」

「・・・そうですわね、多分あの時よりは今のほうが怒っていらっしゃるのではないでしょうか。」


それにロロは一層顔色を悪くした。きっと相当怖かったのだ。


「大人しくお兄様に叱られてください。」

「・・・ナナ」

「私もゼロお兄様の状態を知っていてお兄様に黙っていたのですから共犯ですけれど、そもそも黙っていようと考えたゼロお兄様は許しません。」


ナナリーが車椅子から少し身を乗り出す。

視界でさらりとミルクティーのような髪が揺れるのを見ながら、ゼロは何か言わんとしてそれからまた口を噤んだ。


「私達、家族でしょう?」

「・・・本当に信じているのか・・・私がかつて告げたことを。」


元は双子だったゼロとルルーシュ。

ただゼロは生まれることは叶わず、ルルーシュの中に意識として確立したものをV.V.によって取り出された。と。

ゼロの反応にナナリーはきょとんとして、頬に手を添えて首を傾げた。


「嘘だったんですか?」

「勿論嘘ではない・・・ただ、普通に考えれば非常識極まりないだろう?」

「ギアスのおかげで、私も随分非常識には慣れてしまいました。それにもし、私に嘘を見抜く力がなかったとしても、私はゼロお兄様を信じます。」

「・・・何故?」


心底不思議そうな顔のゼロに、ナナリーは穏やかに笑った。


「私の信じるお兄様が信じたのですもの。私が信じない理由はありません。」


どたどたと、穏やかな雰囲気をぶち壊すような足音が聞こえ、それが次第に大きくなっていく。

怒っているという事実をありありと伝えてきているそれに、ナナリーは苦笑しながらリンゴを剥いていたナイフをしまった。

皿の上にはうさぎの形を模したリンゴが1切れ。


「これはお兄様に召し上がるよう伝えてくださいね。執務のせいで落ち着いて食事も摂れていないので。」


ナナリーは笑顔だが、その隣に立つロロの顔色は蒼白で、余程恐怖しているのだろうと分かる。

そわそわと落ち着かないロロにナナリーが行きましょうと声をかければ、ロロは顔を輝かせてナナリーの車椅子の後ろに回った。


「じゃあ、兄さん・・・その・・・が、がんばって?」

「不穏なことを言うな」


そうして出て行った妹弟と入れ替わるように、彼は入ってきた。

ぞくりと背筋が凍る。

笑顔が、怖かった。

どうして口元があんなに笑みを象っているのに、目があんなに冷たいのだろう。

いっそ鬼のような形相で睨まれたほうがまだよかったのではないだろうか。


「・・・ルルーシュ?」

「俺が何故今こんなに怒りに震えているのか、分かるか。」


声もやはり冷たかった。

それでもルルーシュがそう聞いてきたことには安心してしまう。

あの様子で「全然怒っていない」と言われないだけまだマシだ。


「私が、身体のことを黙っていたから?」

「違う。」


あ、違うのか。そんな暢気な感想と共にゼロは目を見開いた。


「・・・スザクに、俺のことを頼むとか言ったらしいな。」

「嗚呼何だ、そのことか。」

「そのことか、じゃない・・・!」


ゼロの横たわるベッドに片足を乗り上げて、更にはゼロの胸倉を掴み上げる。


「ルルーシュ、私は一応病人だ。労われ。」

「よくもまぁいけしゃあしゃあと。生憎と俺は特別扱いはしない主義だ。」

「嘘を吐け。ナナリーは常時特別扱いだろうが。」


そこで一度押し黙ったルルーシュではあったが、それでも勢いは衰えなかった。


「俺は与えられるのを待つ子供ではないんだ」

「ルルーシュ」

「助けが欲しければ自分で頭を下げにいく。お前にそんな世話まで焼いてもらいたくない。」

「兄が弟の心配をして何が悪い」


一歩も譲る気はないのだと。

そういう姿勢を顕にしながら、ゼロは憤然と言い放つ。


「大切だから。愛しているから、幸せになってほしいと思う。でもきっとお前はそれを受け入れないだろう。ならばせめて、目指す道に向かう手助けをしてやりたい。しかしそれすらも叶わなかったなら・・・私は私の意志を継いでくれる人間が欲しかった。だから私は枢木に・・・」

「・・・そのせいで、お前が怪我をしているんだぞ。もしかしたらシュナイゼルに捕まったまま助けられなかったかもしれない。そんな事でお前を失ったら・・・俺はどうすればいい?」

「別にあのまま私が死んでいたとしても、誰もお前のせいにはしないよ」

「そういうことじゃない。」


嗚呼、怖い。

明らかに怒っているのに、声音が妙に静かで、それが余計に怖い。

ゼロは逃げたいという衝動と戦っていた。

実際身体が言うことを聞かないから逃げることは叶わないのだが。

平静を装うのは得意だ。

だがそれにもそろそろ限界を感じている。

もう、最後の手に打って出るしかないとゼロは深呼吸した。

出来ればこれは言いたくなかった、というか認めたくなかったが。


「枢木が、好きなんだろう」

「・・・・・・ほぁ!?」


ルルーシュは顔を赤く染めて、一歩後ずさって、変な声を上げた。

おかげで掴みあげられていた胸倉も解放され、息苦しさも無くなる。


「枢木もお前が好きだろう。だから、お前達二人が」

「な、んの、話だっ・・・!」

「・・・お前達二人が、そしてナナリーとロロが、幸せになってくれれば、私は幸せだ。」


ぐっと押し黙ったルルーシュではあったが、何度か反論を試みているらしく、何かを言いかけて口を開いてはそれを飲み込む、というのを繰り返している。

ただルルーシュの頭脳をもってしても最適な言葉が見つからないようで、ゼロはしてやったりという顔でそれを見守っていた。

だがやがて、ルルーシュは諦めたように溜息をついて、そして顔を赤らめた。


「確かに、俺は、その・・・スザクが、す、好き・・・だ」


それで、いい。


「だったら」

「でも、それ以前に俺とお前は、血が繋がっているんだ。」

「・・・だから?」

「俺の優先順位は、1に家族、2にスザクだッ・・・!」


それを言うのは、相当恥ずかしかったのだろう。

声を震わせながら、それでもはっきりとルルーシュはのたまった。

それに一瞬動作を停止させて、それからゼロは破顔した。


「ぷ」

「ゼロ?」

「・・・くくっ・・・ははは、『1に家族、2にスザク』か。いいな、実に面白い」

「俺は真剣にッ・・・!」

「わかっているよ、・・・ふふっ・・・ああ笑いすぎて傷が痛む・・・」

「傷口なんて開いてしまえ!」

「あまり酷いことを言うな。」


ひとしきり笑った後目尻に浮かんだ涙を拭ったゼロを見ながら、ルルーシュが小さく呻いた。


「お前の身体のことは、・・・ナナリーから聞いた」

「そうだろうと思っていた」

「・・・方法は、無いのか。」

「どうだろうな。ギアスを使わなければ現状維持ぐらいは叶うかもしれないし、そうじゃないかもしれない。」

「じゃあとりあえずもう使うな。」

「ロロに続いて私もギアス禁止令か。まぁある程度なら守ってやってもいいが。」

「使ったら絶縁だ。」

「それは困る。」

「じゃあ約束しろ」

「手厳しいな。」


そう笑いながらも、ゼロはルルーシュの手をとって、その指先に口付けた。

約束を取り付けたということなのだろう。

少しだけ顔を赤らめたルルーシュに、ゼロは問うた。


「これからどうするんだ」

「俺は皇帝位を継ぐ。エリアの解放、貴族性の廃止・・・やらなければいけないことは山程ある。」

「そうだな」

「それでも」


一度口を噤んで、それからルルーシュは目を穏やかに細めて、笑った。


「『始めた』俺自身が終わらせる・・・その為に、謡わなければいけないんだ・・・鎮魂歌を。」

「レクイエム・・・か」

「そうだ。ナナリーと、ロロと、『世界』と・・・お前の為に。俺と、スザクが。」







あと1話で終わりです。実は。←