シュナイゼルとの会話の後、ゼロは痛む傷を気遣いながら身を起こした。

腹の傷が本当に弱い痛みしか伝えてこないのは鎮痛剤を投与されているからだろう。

ただそれは傷の痛みを緩和させるためにではなく、思考能力を低下させる為だろうか。

傷に見合わないような強い鎮痛剤を投与されたのではないだろうかというほど意識は朦朧としていて、考えが一向に纏まらない。

先ほどのシュナイゼルの会話でそれを悟られないようにするのが精いっぱいだった。

何故、彼らが。そう思わずにはいられなかった。

黒の騎士団と道を別つことはことは分かっていた。

目指すものが違うのだから当然だ。

黒の騎士団を構成するのは殆どが日本人で、彼らは日本を取り戻すために戦っている。

支配からの解放、不安要素の抹消。

つまりはブリタニアを壊すということ。

元々はルルーシュもその思想を持ち、その為だけに多くの犠牲を払いながら戦った。

しかし今は違う。

崩壊の先を見据えている。

ただ壊すだけでは『優しい世界』は在り得ない。ただ壊すだけでは憎いブリタニアがしている事と同じ。

破壊は憎しみしか生まないのだから。

だから、終着点が違えば、いずれはどちらかが離脱しなければいけないのだ。

だがしかし現状は何だとゼロは唇を噛みしめる。

道を違うだけならばよかった。

まさか、『敵』になるなど。

一つ息を吐いて、ゼロは視線だけを周囲に巡らせた。

監視カメラは4つ。

これを少ないとみるか多いとみるか。

場所は独房で、強化ガラスらしい壁の向こう側には数人の医師が控えている。

ギアス対策の為かそれぞれバイザーを着用していた。

このままでは恐らく飼い殺しの如くシュナイゼルによって監禁され続けるだろう。

まずはここから抜け出さなければ話にならない。

例えここから逃げ出せなくとも、この命はきっと愛する弟の道にとって障害となりうるものだ。

そんなモノはいらないし、そんなことは決してあってはいけないという気持ちで、ゼロは目を伏せる。

気づかれないように舌で口内を探り、仕込んでいたものが奪われていないことを確認する。

一瞬でいい。

ここの扉が、開かれれば。

ゼロは手で口元を覆うと同時に、奥歯をぐっと噛み締めた。


「・・・っ」


口から、口を覆った手の指の隙間から、赤いものが流れ出る。

血液を模したものを詰めていたカプセルを噛み砕いたのだ。

そうとは知らない外部の医師達は、ゼロの病状が悪化し吐血したと勘違いして、扉のロックを外すと雪崩込むように集まってきた。

ゼロの耳を掠めたのは、待っていた言葉だった。


『処置室に運べ』


手についた鎖はこの部屋自体と繋がっている。

移動するには鎖を外さなければいけない。

ゲホゲホと咳き込むフリをしている内に取り去られた鎖。

その瞬間ゼロは目をぎらつかせ、飛び掛った。

軍医とはいえ、軍人のような強靭さはもっていない。

そして己は弟ほど体力がないわけでもないのだ。

軍医をなぎ倒し、部屋を飛び出した。

無謀なのはゼロ自身分かってはいたことだ。

ここはあくまで敵地である。戦艦内の見取り図を頭に叩き込んでいるわけでもない。

当てずっぽうに逃げ回ったところで囲まれ、また捕まるだけだが、艦内の空気の流れぐらいは感じることが出来る。

斑鳩がハッチに着艦しているはずだ。

そこに向かえばKMFの一体ぐらいは奪取できるかもしれない。

ひたすらに走る。

腹の傷の鈍痛が次第に大きく耐え難いものになってくる。

片手で触れると、湿った感触を伝えてきた。傷が開いて出血しているのだろう。

構わず走ると格納庫らしい拓けた空間に辿り着いたのだが、前方から敵兵が集まってきた。

余程急いでいたのか、ギアス対策と思われるバイザーをつけている者とつけていない者の数は半々だ。

一先ずはギアスが効く者だけでも無効化しなければならない。


「動くな!」


ギアスが発動する。

敵兵は、何故か全員動きを止めた。

それには思わずゼロも息を呑んだ。

あのバイザーの透過率ならば、ギアスは通らないはずだ。

ギアス対策の為にブリタニアが用意したバイザーに限って、透過率が低くない、などという理由は考えられない。

ルルーシュのギアスが、使い続けた末に『進化』し、制御が出来なくなったように。

己のギアスもまた、『進化』しているとでもいうのだろうか。

そう思考を巡らせている最中、急激な眩暈にゼロは思わず足を止めて身を固める。


「・・・ぐッ・・・!」


ゴポリ、と口から赤い塊を吐き出した。

先ほどのように口の中に仕込があったわけではない。

体内からせり上がってきた、紛れも無い己の血。

激しく咳き込むと、口の中にこびり付いたそれも飛沫として床や壁を染めていく。

何が起こったのか分からなかった。

直感で悟った。傷が原因ではない。

体内で、何かが。


「・・・まさ、か・・・」


ある種の可能性を見出しながら、重さを増した身体を叱咤しデッキへと走る。

やっとの思いで辿り着いたそこに勢揃いしていた面々を見ながら、ゼロは自嘲した。

黒の騎士団。

中心にいた扇が、まるで呻くように呟く。


「・・・ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」


どうやらシュナイゼルは『ルルーシュ』と『ゼロ』についてを騎士団には話していないらしい。

真実は隠され、上辺だけを伝えられたのだろう。

ブリタニアにとっては、騎士団のトップが皇族だというスキャンダルめいた事実と、ギアスの能力の一端を黒の騎士団に伝えるだけで十分だから。

彼らの背後には斑鳩がある。

この状況で斑鳩の奪取は無理だろうし、KMFを入手するのもどうやら不可能に近い。

こうなれば押し切るか、とゼロはギアスを発動させようとした。

赤い瞳に、紋章が浮かぶ。


「がッ・・・」


瞬間奔った身体の中を掻き回されるような感覚に、ゼロは息を詰めて膝から崩れ落ちる。

あまりの衝撃と痛みにギアスを発動することすら間々ならない。

荒い息と少量の血液を吐き出しながら、ゼロはドクドクと脈打つ心臓を押さえる。

考えた事はあった。

何故己のギアスは弟のそれと似ているのに、弟にあるような制約がないのかと。

人の目を見なければいけないという点は変わらない。

しかし何度でもかけなおす事ができ、言葉を選んでかけていれば後で簡単に解除する事も出来る。

そしてつい先程判明した、透過率の無視。

それらは、決して優れているという事ではなかったのだ。

真実に気付き、ゼロは血に濡れた口元で笑みを形作った。


「そういう・・・こと、か・・・」


『失敗作』

能力者の巣窟であったあの瓦礫の中、V.V.が笑みながら言った言葉が脳裏で繰り返される。

ロロの持つギアスが同時に心臓を止めてしまうという欠点を持っていたのと同じように、己のギアスにも欠点があったのだ。

肉体が失われ始めたのはV.V.が死んだからではなく、ギアスの代償として消費されたから。

そしてこのまま使い続ければ、結末は火を見るより明らかだ。

それ程までに、人の意思を捻じ曲げるとは大きなことだということなのだろう。


「この力が人の理を考慮していたとは・・・驚きだな。」

「何をごちゃごちゃと・・・」

「・・・ああ、すまない。感慨に浸っている場合ではなかったな。」


視界は霞み、手足は震え、寒い。

血を体外に出しすぎたと後悔しながら、ゼロはすっと目を細めた。

いつのまにか、そこには泣きそうな顔をしたカレンが銃を片手に立っていた。


「・・・ねぇ、本当なの。ギアスって力のこと。」


ゼロは微笑む。

カレンがまた顔を歪めた。


「私にも、かけたの?」

「さて、どうだった、・・・かな・・・。」

「そんな力が無くたって・・・私、は・・・あなたの騎士でしょう?」


そうだ、とも違う、ともゼロは言わない。

しかしその沈黙がカレンにとってはそれが否を表しているように思えたらしい。

大粒の涙を零し、頭を振る。


「答えてよ・・・ルルーシュ!!」


嗚呼、彼女も分からなくなってしまったか。

そんな淡白な感想が浮かぶ。

『ルルーシュ』と叫びながら『ルルーシュ』という『個』を認めていない。

仮面の男『ゼロ』のように、『ルルーシュ』自身も象徴化してしまっているのだ。

自嘲するようにゼロは嗤った。

ルルーシュはどうか分からない。しかし少なくとも。私は。


「『私』は端からお前を、騎士とは認めていなかった。」


カレンが震えあがる。


「『ルルーシュ』の騎士は、これまでも・・・そしてこれからも、アイツだけだ。」


癪ではあるが。それでも。あの男以外は、この私が認めない。

そうゼロは笑った。

涙を一筋零して、カレンは項垂れた。

その代り、銃を構えた腕だけが浮いて、その銃口の先をゼロに向ける。

彼女は、涙を流しながら、笑った。


「さようなら」


指がトリガーを撫でるように動いた後、ぐっと力がこもった。

愛する弟妹の事を想いながら瞼を下ろそうとしたゼロは、突如大きく揺らいで倒れ込んだ。

鳴り響くのは警戒を促すサイレン。

揺れているのはアヴァロン全体で、黒の騎士団の面々も倒れこまないようにしながら周囲を見回している。

その揺れが一層大きくなり、船体が傾いたと同時に轟音が鳴り響き、強い風が吹き荒れる。

アヴァロンに突如開いた大きな穴。積もった瓦礫と舞い上がる粉塵の向こうに、仮面の男は立っていた。


「・・・『ゼロ』・・・!?」


扇が上げたその声に、ゼロもゆるゆると視線を動かす。

やっとの思いで視界にそれを捕えた頃には、ゼロの身体は黒のマントに包みこまれていた。

ゼロが驚いたように身を強張らせる。


「・・・何、を・・・!」


声を上げて異を唱えても、容赦なく身体は抱えあげられてしまう。

仮面の彼は先ほど開けた大きな穴まで走るとちらりと後ろを振り返り後を追ってきていたカレンや扇を一瞥した後、その穴から身を投げた。

ふわりとした浮遊感。

その次の瞬間には荒々しい風が身体と傷を容赦なく撫でていく。

程なくして黒のボディに金の装飾のKMFが現れ、その伸ばされた手に着地をした。

蜃気楼だ。傍らにはヴィンセントも在る。

しかしそんなことを気にしている余裕はなかった。

自らを抱きしめた者が、『ゼロ』の衣装を纏っていても弟ではないことは分かっていたから。

そしてその正体にも薄々感づいてはいるのに、それを受け入れられない己がいる。

何故、彼が。そんなことばかり考えてしまう。


「お前っ・・・」

「黙って。傷に響く。」

「・・・ッ・・・思い出させ、るな・・・」


傷口は完全に開いている。

染み出した血液が『ゼロ』のマントを染めているのだろうが、色が黒いせいもあっていまいち分からない。

途切れそうになる意識をどう繋ぎ止めるか考えている内にヴィンセントの援護によって蜃気楼は追っ手を振り切ったらしく、暫くの飛行を続けた後森の中に着陸した。

どうやらそこが合流ポイントだったらしい。

ギアスをかけられているらしい医者と看護師、それに咲世子が待ち構えていた。

抱え上げられ処置用のベッドに寝かされる頃にはゼロの意識も限界で、ただきっともうすぐ駆けつけてくるであろう人物を待つためだけに降りそうな瞼をこじ開ける。

やがて、待ち望んでいた声が頭上から降ってきた。


「俺は、怒ってるんだからな。」


ぼやけた視界に映るのは、顔を歪めた片割れ。

怒っている・・・というよりは今にも泣き出してしまいそうな悲痛な顔に、分かっているよと言いたくて口を動かしてみても、思ったように声が出る事は無かった。

身体は鉛のように重くて、指一本動かす事が出来ない。

少し寒い。

説明が付けられない激しい睡魔が身を襲って、ついには目を開けているのすら億劫になる。

ただ、焼き付けておきたかった。

愛しい人を。

護ると決めて、それのためになら全てを擲ってもいいとさえ思わせてくれた片割れを。

色褪せていく世界の中で、唯一輝き続けているように目に映った弟を。


「ゼロ」

「・・・あ、あ・・・すまな、・・・い・・・少し、眠くて・・・」

「じゃあ寝ろ。そのかわり次に起きたら説教だからな。」


覚悟しておくよ、という呟きは無事に届いただろうか。









何やら駆け足ですいません。大分ご都合設定も増えてきましたが、パラレルって事でお願いします←