「姫!」


高らかな声が木霊する。

その言葉が誰に向けて放たれたものか。

周囲を見回せば、その言葉が当てはまるのは一人しかいない。

視線が集まる中、『姫』はイラついていた。

眉間によった皺が華のような美貌に水をさしているようで。

しかしそれもいいと思ってしまうのは、『姫』が放つ高貴なオーラのおかげだ。

『姫』を通り越して『女王様』になりかけている。

濃い紫と白のドレス。

腰まで伸びた艶やかな黒髪にはシルクのリボンがあしらわれている。

不機嫌に細められた瞼から覗くのは一対の紫電。

その双眸が、声の主をギロリと睨み付けた。


「あ〜・・・っと、ジノ。今ルルーシュは機嫌がすこぶる悪いから、迂闊に話しかけない方がいい。」


リヴァルが頭をかきながら控えめに告げる。

それでもルルーシュのことを『姫』とのたまったジノは興奮を抑え切れていない様子で身を乗り出した。


「やっぱり・・・間違いない!!ああ、姫!ずっとお会いしたかった!」


ルルーシュの綺麗な弧を描く眉が跳ねた。

椅子に足を組んで腰掛けたルルーシュの前に片膝を付き、白魚のようなその手を取って甲に口付ける。


「覚えておいでですか、ジノ・ヴァインベルグです!貴方様の騎士になると・・・その地位に就いても相応しい男になるべくラウンズのスリーまで上り詰めました!どうか今こそ・・・」

「ジノ・ヴァインベルグ。」


ルルーシュの声は硬く、そして冷たい。

不機嫌に歪められた表情。

その表情が一瞬で華のような微笑に変わる。

周囲で固唾を呑んで見守っていた面々は思わず顔を赤らめた。


「今、例え冗談でも。そのような言葉は聞きたくない。」

「しかし姫ッ・・・!」

「黙れ。」


ああッ・・・女王様!!!

ギャラリーの、満場一致の心の声である。


「会長、そろそろ脱いでもいいでしょう。」

「いやぁ〜ん、もうちょっとだけ!見納めなんだから!」


生徒会会長であるミレイ・アッシュフォードがついに学園を卒業する決意を固めた。

卒業する前に以前男女逆転祭でドレスを纏ったルルーシュの姿がもう一度見たい。

そう懇願され、ルルーシュが渋々ドレスに着替えて今に至る。

ビロリロ〜ン。

軽快な電子音の先で、アーニャがルルーシュのドレス姿を記録している。

ルルーシュは足を組み替えて、小さくため息をついた。


「リヴァル!アンニュイな女王様に紅茶をご用意なさい!」

「りょーかいっ!」


リヴァルがクラブハウス内を駆けていく。

早く終わらないものか。

ルルーシュはすっと目を細めた。


「姫!」


ジノは尚もその場から動かなかった。

ただ跪き、頭を垂れる。

悪ノリにしては・・・と周囲も疑問を感じ始めていた。


「おい・・・」

「覚えておられませんか!無理もない・・・お会いした時・・・・姫も私もまだ幼かった・・・」

「何を・・・言っている。」

「アリエスの離宮・・・父に連れられてそこを訪れた私は始めて姫にお会いしました!」


ルルーシュの顔色が変わった。

アリエスの離宮。

そこはまだ幼かったルルーシュと妹ナナリーが母と共に暮らしていた場所。

幸せだったあの日。

あの場所で惨劇が起きてから、ルルーシュとナナリーは人身御供となった。


「アリエスの離宮・・・皇族が住まう場所じゃいか。俺は一般人。そんな場所に行けるはずもないだろう。」

「何処となく似ているとは思っていたのですが、そのお姿で確信いたしました!まさか男性の素振りをされているとは思いませんでしたが。」


空気が凍った。

固まったのはルルーシュだけではない。

ミレイや、シャーリーや、いつのまにかティーセットを持ってきていたリヴァルも。

リヴァルがわなわなと震えだす。


「ルルーシュ・・・おま、まさか女だったのか・・・!?」

「ちがっ・・・間違っているぞ!俺は女ではない!」

「何でもっと早く言ってくれなかったの!?そうしたら裸の付き合いが・・・卒業するのやめようかしら。」

「だから違うと・・・っほぁああ!!?」


弁明の為に立ち上がったルルーシュはドレスの裾を踏んでしまいつんのめった。

崩したバランスを立て直すことができない。

衝撃に備えて硬く目を閉じた。

しかし訪れた衝撃はルルーシュの想像していたものとは明らかに違った。

ぶつかったのは硬い床ではなく、誰かの身体。

フワリと抱き込まれて、ルルーシュが目を見開く。


「・・・っあ・・・」

「姫、お怪我は・・・?」


ルルーシュの華奢な身体を抱きとめていたのはジノだった。

碧色の瞳がルルーシュを真っ直ぐ見つめる。

呆然としたルルーシュは、やがて慌てて立ち上がると小さく「すまない」と呟いた。


「・・・で?」


沈黙を破ったのはシャーリーだった。


「結局ルルは・・・女の子なの?」

「違う。俺はちゃんと男だ。」


何が『ちゃんと』なのかはさっぱりだが。


「でも私が姫にお会いしたとき、確かに貴方はいつもドレスを・・・」

「それは母上の趣味でッ・・・いや、なんでもない。」


それっきり黙りこんだルルーシュは踵を返して、ミレイに「脱ぎます」とだけ告げた。

妙に重たく感じる木製のドアを押し開ける。

ジノは唐突に立ち上がるとルルーシュを追いかけて、ドアに触れていない方の手を掴んだ。


「私はルルーシュ様の性別がどうあろうと、護りたいという気持ちを捨てる気はありません。」


ルルーシュの肩が震える。

何かを堪えるように。

顔は俯いたまま、ルルーシュは苦しげに呻いた。


「もう俺には・・・お前に護ってもらう資格も、価値もないんだよ・・・ジノ。」


ジノの手を振り払って。


ルルーシュは扉の向こうへと姿を消した。
















『るるーしゅさま!わたしを『きし』にしてください!』


金髪の小さい子供。

その碧眼をキラキラと輝かせて少年はいつも笑っていた。

皇族の騎士になるには正式に誓いを立てなければならない。

幼かったルルーシュは皇族といえどその権利を与えられてはいなかった。

口約束ほど不確かなものはない。

それでも、その頃はそれでいいと思っていた。

ジノ・ヴァインベルグ。

名門貴族ヴァインベルグ家の四男。

その生まれた序列故にヴァインベルグという家を継ぐことはなかったものの、釣りが出るほど名誉な地位を得た。

神聖ブリタニア皇帝直属。

王を守る円卓の騎士、ナイト・オブ・ラウンズ。

その3番目の椅子に座る彼はもう手の届かない存在。

ルルーシュは小さくため息をついた。


「兄さん・・・何かあったの?」


ロロは心配そうにルルーシュを覗き込む。

なんでもないよと笑って見せて、手元にあったチェス駒の、ナイトを一手動かした。

戦況は上々だ。

中華連邦を軸に、周辺諸国は黒の騎士団が纏め上げてきている。

問題はギアス嚮団。

V.V.という名の現在の嚮主。

ギアスの大元を断てばブリタニア皇帝に対抗するのも容易くなるかもしれない。


「終わらせる・・・全てを。」


ロロは何も言わなかった。

正しくは言えなかった。

ルルーシュが、泣いているように見えたから。

















「どういうつもりだ・・・私たちを舐めているのか?」


藤堂は異常を知らせるアラートが鳴り響く部屋で、モニタ上で動く一つの点を睨みつけていた。

敵襲を知らせる警報が鳴り響いたのは日も完全に暮れてから。

中華連邦の本拠地である朱禁城に、無謀にも単機で乗り込んできたナイトメア。

トリスタンはナイトオブスリーの機体だ。

いくらナンバースリーの実力を持っていたとしても、単体で乗り込んでくるのは無謀だろう。

ゼロはいない。

藤堂が残月に乗り、星刻も神虎に向かう。

いち早くナイトメアに乗り込んでいたC.C.は警戒しつつトリスタンの前に躍り出て回線を繋いだ。


「ジノ・ヴァインベルグだな。」

「そういうお前は・・・C.C.か。」

「いくらラウンズといえど単身乗り込んでくるとは・・・お前は余程の自信家のようだな。」

「私が来たのは闘うためではない。」


朱禁城の前に降り立ったジノはトリスタンの武装をすべて捨てる。

闘う意思がないことを表すための行為。

コックピットが開き、中からジノが現れた。

ラウンズの衣装を纏った彼は手に一本のナイフを持ち、真っ直ぐ朱禁城を見据える。

ブリタニアの騎士である証。

その紋章で飾られた深淵色のマントを外して片手で持ち直す。

紋章を見せ付け、存在を誇示するように。

C.C.はすっと目を細めてジノに容赦なく銃を向けた。


「目的は。」

「殿下に会わせてくれ。」


C.C.の片眉が跳ねる。

ブリタニアの騎士であるジノが殿下と呼ぶとすれば、相手はもちろんブリタニア皇族。

C.C.は舌打ちをして目の前の男を睨み付けた。


「信用されていない?」

「当たり前だろう。」

「安心しろ、私は殿下に危害を加えるつもりでここに来たのではない。」


それでもC.C.は警戒を解かず、更にはC.C.の後方から援軍のナイトメアが続々と現れた。

ジノは小さくため息をついて、片手に持ったマントを掲げる。

その紋章を騎士団に向けて。


「何のつもりだ。」

「コレなら信用してくれるか?」


ジノはナイフを握り締め、そして振り下ろした。

布が裂ける音と共にマントの騎士の紋章が綺麗に等分される。

それはブリタニアに反旗を翻すということ。

無残にも引き裂かれ地に落ちたマントを、C.C.は黙って見つめる。

円卓の騎士。

その証を切り捨てたのだ。


「いいだろう。来い。」

「おいC.C.!ゼロの許可も無く・・・」

「私が責任を取る。」


踵を返したC.C.の背中をジノは黙って見つめた。












「ゼロ、お前に客だ。」

「・・・客?」


アッシュフォード学園の地下司令室から蜃気楼に乗って中華連邦に戻ってきたルルーシュは、相変わらずピザを頬張る女性の言葉に眉を顰めた。

そしてこれも相変わらずな部屋の散らかり様にため息をついてC.C.の脱ぎ捨てた服をハンガーにかける。


「一応拘束はしておいたがな。」

「拘束だと?おいC.C.、誰が・・・」

『ゼロ、入ってもいいだろうか。』


部屋のドアの向こう側から聞こえた声は藤堂のものだ。

入室を促すと、小さな音を立てて扉が開かれた。

ゼロが仮面を被っていて、本当に良かったと思う。

動揺で歪んだ表情を誰にも見られずに済むからだ。

煩わしい位大きく脈打つ心臓を落ち着かせようと小さく深呼吸する。


「・・・どういうこと、だ・・・C.C.。」

「お前に用があるというから招き入れた。」


よくもまぁいけしゃあしゃあと。

そう怒鳴りつける気力はない。

藤堂を退室させると、なんとか平静を装って部屋に残った男を見た。


「これはこれは・・・ナイトオブスリーのジノ・ヴァインベルグ卿とお見受けする。」


何の用か。

そう問いかけると、ジノは拘束されたままの身でその場に跪いた。


「貴方に従うと・・・貴方にしか跪かないと決めました。」

「なに・・・を・・・」


「貴方が反逆するというなら私も。」










ボツ理由:ジノがルルを女と勘違いしている設定で書きたかったのに、後半その設定がどうでもよくなってたから。
これじゃあなんの変哲も無い寝返り小説だ、と(笑)